9条を守ろうということで集まったメンバーで、初企画として開催した「カフェ9’s」が終わってから10日ほど。同じような問題関心や考えを持っていながら、それほどの交流を持つ機会にめぐまれなかったそれぞれが、試行錯誤しながら、議論をし、イベントを練り上げてきたこの間の時間は、私にとって、ほんとうに有意義なものだった。
「若者が憲法を守るために何かできることを」という一人の呼びかけが、それぞれの経路をたどり、ばらばらだった個人のもとへ届いていく流れが、実行委員会という場やイベント当日への参加を促していった。集まったのは、動員された運動員ではなく、世間一般に言う「若者」というカテゴリーに収まらない多様な顔を持つ個人である。だから必然的に、初発の呼びかけにある「若者」だとか、「憲法を守る」だとかといった、分かったようで分からない言葉の問い直しをも生み出していった。あるいはまた、この運動そのものの意味を毎度毎度の会議で問い直し、議論していくというスリリングな瞬間を孕みながらの作業だった。その一連の過程こそが、この「カフェ9’s」そのものであり、語の忠実な意味での「運動」=「流れ」だったのではないかと思う。
12月4日は、三条河川敷に100名を大きく超える人たちが集まった。ライブパフォーマンスを終えた後、私は司会者としてティーチイン(討論集会)という場を担当し、参加者間での意見交流を行った。降りしきる雨と、凍てつくような寒さのなかで、震え縮こまった身体を、開かせてくれるような多くの意見が飛び交った。そんないくつもの言葉に身体を晒し、内奥へと刻んでいく快感と、思考の経巡りが、思ってもみない言葉の創造を生み出してくれたように思う。
12月4日だけで終わらないでおこうと、実行委に集まった私たちは思っている。議論の場は、さらなる議論の場を求め続けるはずだと思うからだ。かけがえのない言葉や想念を生み出してくれた議論の場へ、もう一度、その言葉を送り返すために、ここで私自身が12月4日に感じ取ったいくつかの論点を列挙してみたい。
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① 「9条を変えて戦争をする国にするな」というスローガンは正しいか?
このスローガンには、「戦争をしない国」から「戦争をする国」へ、というイメージ(共通了解)が込められている。だけど、それは正しくないというよりもウソである。正確に言えば、日本が戦争をしなかった時期は、近代史のなかで一度でもあったためしはないのだ。朝鮮戦争やベトナム戦争で、戦地へ飛び立った米軍はどこから出撃しただろうか。米軍の使用した銃器はどこで製造されただろうか。答えは、「平和」憲法下の日本である。湾岸戦争でもアフガン=イラク戦争でも、日本は米軍の後方で行動してきた。戦後27年間、分離統治された沖縄では、今日に至るまで米軍基地が集中し、まるで戦場のような日常が続いている。これらの事例を無視して、憲法を語るのは、まやかしではないのかと思うのだ。
しかし、このスローガンが、運動をする側の共通了解になりえるのには、それなりの背景があるのも事実だろう。爆弾の雨がやみ、青年たちが戦場から次々と帰還する戦後直後の風景は、「平和」を民衆的実感として体得した瞬間だったし、そこで手にした「新しい憲法」は、まさしくその実感を的確に表現した言葉だっただろう。あるいはまた、砂川や内灘といった地域で米軍基地建設に抵抗した人々にとって、「平和憲法」は「勝ち取った権利」だったにちがいない。ビキニ環礁で水爆実験に遭遇した船が帰港したとき、それは戦後の民衆にとって、突如として現れた未来の戦争の影として写っただろうし、原水禁運動がスローガンとした「二度とふたたび(ノー・モア)」は「平和憲法」の再読を通じた過去の戦争への反省だったと思う。
ここに列挙した一つひとつの記憶は、大切なものにちがいない。しかし、と私はもう一度問うてみたい。戦後60年間、日本が平和だったというのは間違いではないのか。ある一つの事例を挙げてみたい。朝鮮戦争のさい、在日朝鮮人たちの多くが反戦運動を起こした。関西でも、吹田や枚方で、朝鮮人たちと共産党の青年党員たちによって、大きな反戦運動が起こっている。解放されたはずの故郷が、ふたたび戦場と化した朝鮮人たちにとって、戦争は過去のものでも、未来のものでもなかったはずだ。同胞たちが殺し殺される朝鮮半島に日本から軍用列車が向かっていく光景は、彼らをして、戦争が<今ここ>に起こった現在進行形のものとして捉えられたにちがいない。この事実を、憲法を語るさいにも忘れてはならないだろう。
「旧憲法=侵略戦争の過去」「今の憲法=戦争をしない現在」「自民党が作った改憲案=戦争をする未来」という視点は、やはり誤りだと思う。戦争を、同時代の、同じ社会のものとして捉える想像力を、私は、提起したい。
② 「大きな運動」をおこせばそれでいいのか?
憲法の改正手続きには、衆参両議院の3分の2と国民投票で過半数の賛成を要する。だから「大きな国民的規模の運動」が必要だという声がある。確かにそうかもしれないと、私も思う。だが一方で、「大きな運動」をおこせばそれでいいのかという疑問も付きまとう。
そもそも「大きな運動」とは何だろうか。あるいは「多数派を形成する」とは何だろうか。この言葉の指している意味はそれほど複雑ではない。それは、「社会の成員の多数が同意をする」ということだ。もっと厳密に言えば、「社会の成員の多数が同じ立場に立つ」ということだ。
しかし、もともと少数派を決定づけられたものにとって、多数派の合意とは暴力でしかない。例えば、障害者や性的マイノリティ、難民や「不法滞在」の外国人たち、そんな多数派にはなりえないことを決定づけられた人々にとって、多数派の合意は、自分たちの政治的意思表示を圧迫する存在になりかねないのだから。さらに言えば、政治的意思表示すらもできない人々が、そこでどう扱われるかを考えてほしい。
ここまで読んでくださった方には、私の発話の意図を測りかねるという疑問をもたれるかもしれない。「平和憲法」を守ることはいいことだし、いいことを多数の意見にしていくことは大切だと思われるかもしれない。私もそれには同感なのだけど、同時に考えなければいけないこともあるように思う。
それは、憲法運動はナショナリズムとつねにかかわりを持ち続けているということである。憲法は、どんな憲法であれ、「国民」を創造する。そして「国民」から零れ落ちる「非国民」を創造する。現に、日本国憲法は「日本国民は…」という書き出しで始まっているし、そこに書き込まれたいくつもの権利は、日本国民に保障されたものにすぎない。
この文章の最初に定義した「少数派」=「多数派になりえないもの」という定義を、ここでもう一度言い換えるならば、「非国民」とは「国民になりえないもの」として「国民」の側から定義される存在なのだということだ。この社会は日本国民だけで構成されているわけではないという当たり前の事実を、憲法(運動)はつねに取り逃してしまうといえまいか。
「国民」と「非国民」の境界線は一定ではない。戦前であれば共産主義者、同性愛者、ハンセン病患者は「非国民」だったし、戦後は旧植民地出身者を「第三国人」として「非国民」化してきた歴史を、この社会は持つ。一方で、日本国憲法の条文は「権利を日本国民に保障する」としか書いてはいないが、権利とはそもそも、この「国民」と「非国民」の境界線を「非国民」の側から問い直し、揺るがせる運動のなかで勝ち取られてきたものだったはずだ。
少数派/「非国民」の視点から憲法を読み直すことで、憲法の持つ限界を越えていく可能性を探っていかなければならないのではないかと思う。
③ 「戦争」とは何か?――反戦運動と「憲法」
イラク戦争が起こったとき、多くの学生や市民が街頭に出て、反戦デモをした。私もそんななかの一人だ。あの時のあの光景は、今でも鮮やかに蘇ってくる。おそらくそこにいた誰もが戦争とは何か、戦争を止めるにはどうすればいいのかを、手探りで考えていたにちがいない。私があの時考えていたことの一つをここで書けば、イラク開戦前のデモに見られた「始める前に止めよう」というスローガンに違和感を持ったことがある。ある日突然に戦争は始まらない。ブッシュ大統領が宣戦布告をする前から、アメリカ軍はイラクに向けて飛び立っているし、国境を接する国々の検問所は、戦争を逃れようとするイラク人たちを追い返し始めているはずだと思ったからだ。国境が閉ざされたとき、人々に残されているのは生きることを運命にゆだねることでしかない。戦争に向けた国境閉鎖は、イラク全土が「死の強制収容所」と化す事態なのではないかと思ったのだ。その意味で戦争はすでに始まっている。だから、私は、「国境を閉ざすな」「日本は難民を受け入れよ」と叫んでいた。「始める前に止めよう」という市民の隊列にも、「アメリカは安保理決議に従え」という共産党系の隊列にも、かなりの反感を覚えたのである。
そんな手探りの問いかけが憲法運動にも必要なのではないだろうか。毎年2回行われている憲法集会に顔をのぞかせて違和感を覚えるのは、運動が憲法という既成の文章に寄りかかって運動のなかから言葉を作り出す努力を怠ってきたのではないかという疑念である。
イラク戦争のさい、デモに参加した市民から憲法9条を叫ぶ声がきわめて少なかった事実を思い出そう。それは、自然発生的運動だったために市民の情勢認識が憲法を口にするほど発展していなかったなどという硬直した党派的思考では理解できない。むしろ、それは、今引き起こりつつある戦争という事態に対して、戦争を語り批判する言葉を探し出そうとする、参加者たちの真摯な姿勢だったのではないだろうか。
「戦争は憲法違反です」という言葉は、それを発した瞬間に思考停止に陥る。なぜ戦争がいけないかを自分の言葉で思考する労を省いてしまうからだ。今何が起こっているのか、自分たちの生活はどう変わるのか。その不安感や焦燥のなかで、一人ひとりが考え議論し、何をすべきかを見つけていく、そんな作業をしていかなければいけないのではないか。
最後にひとつだけ提起をして終わりたい。今、世界では「戦争」のありかたが変わりつつある。冷戦体制が終わり、国家間戦争が減るなかで、内戦や地域紛争といった非正規戦争が多発し続けている。また、資本のグローバル化が進むなかで、社会的マイノリティに対する監視や管理が強化されつつある。「秩序の維持」を名目に、軍隊が警察と共同で行動したり、NPOや民間企業が軍や警察とともに治安対策にあたったりする動きが目に見えて増えてきた。ある論者の言葉を借りれば「ミクロな殲滅戦争」が日常的に生じているのだ。日本も例外なくこの傾向にある。
憲法9条はたしかに交戦権を否認している。しかし、9条はこうした「新しい戦争」の姿を想定した条文ではない。現に現行憲法においても、政府は「新しい戦争」をすることは可能であるし、実行してきているのだ。だから、今、問わなければならないのは、戦争とは何か、なぜ戦争に反対するのか、そのために何ができるのか、という一連の連続する問いではないだろうか。戦争の概念が変わったのなら、「新しい戦争」すらもできないように縛りを掛けうる条文を盛り込もうと議論するのも、いいだろう。あるいはそもそも国家なんていらないというアナーキストの主張に耳を傾けるのも面白い。
かつてチェコスロバキアの作家ミラン・クンデラは共産党による独裁体制の「非-思考」を批判し、数々の作品を物した。
「神聖にして犯すべからざる確信の上に建てられた世界においては、小説は死ぬ。全体主義的な世界とは――それがマルクス主義に、あるいはイスラムの教理に、またいかなるものに根ざして建てられたものであれ――問いかけquestionsよりはむしろ答えanswersの世界です。そこには小説に居るべき場所はありません。」(ミラン・クンデラ)
問いかけること、そして行動すること。そうした試みの一つひとつが、今私たちに求められている。
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長文、失礼しました。企画の当日、言いたかったことや言えなかったことを考えているうちにダラダラと書いてしまいました。
それぞれの問題意識を書き合おうと始まった、このBLOG。運動は一致点だけでは形成しえない、一致点を形成するための作業から始めねばという思いから、言いたいことを、誰かがきっと読んでくれるにちがいないというかすかな希望を持って、独白のようにぶちまけてしまいました。これを読んだ方、反論でも苦情でも感想でも何でもいいのでレスを。またこの文章に誰かが続いてくれることを願って、筆を擱きたいと思います。(by HG)